Per tel (40×25p) 君へ 「月刊美術」2015年12月号より部分抜粋 銅版画家の原科成美にとって、フィレンツェは生涯における最も大切な街。というより、「フィレンツェという街が原科成美という美術家を生んだ」と言った方が適切かもしれない。 早くから海外に目を向け、発展的な活動を模索していた原科さんだが、それが理想的に実現したのは1975年に日本に帰国してからのことだという。 「イタリアからの留学生をホームスティさせていたことがあったのですが、その学生が取り持ってくれた縁で、フィレンツェのギャラリーで展覧会をすることになりました。そして、その展示をウフィッツィ美術館の副館長が観に来てくれたことがきっかけで、ウフィッツィやマンドラリスカ美術館(シチリア)に作品が収蔵されたり、現地で銅版画を教えることになったのです。本当に不思議で得難いご縁だったと思います。」 ガラス瓶やグラス、鞄や紙袋といった容れ物、鏡や水晶の中に表現されるイタリアの街並みや建物・・・・。この街を宝物のように愛する画家の気持ちが、こうした独自の表現を生むのだろう。そしてそこに加味される<陰蘙礼賛>の感性。イタリアで高い評価を受ける作家が、日本で久しぶりに開く個展。芸術の都、フィレンツェが生んだ画家の現在に注目したい。 (編集部) |
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